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2012/11/01
水堂さん~山ぐるりん~虚空蔵山~
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「烏帽子岳」登ってみました!(←クリックで表示)
に引き続きまして・・・
水堂(みつどう)さん→キリシタンが住んでいたという山奥→
そして、最後は虚空蔵山の周辺を巡ってきました!!
まずは、水堂さんへ水が出るお堂なので、「水堂さん」と名付けられたのでしょう。境内から美しい清水が湧く処で観音様が祀ってあります。
昔は結婚した新郎と地元の青年仲間が集まって男性だけで一晩このお堂に泊まっていたそうです!!案内していただいた山口さんに教えてもらいました。みんなでお祝いし、飲み明かしていたのでしょうか・・・(^^)
昔、一度砂に埋まったこともあるが、雨乞いのため女相撲などをしたら雨が降り出したとも言われています。縁日には出店(竹と経木で造られたピーピーという造花)が出て賑っていました。
霊水を飲めば病が治ると伝えられ、お水を頂く参拝客が各地から訪れるそうです。
私たちも一口いただきました。天然の湧水はおいしかったです!(^^)!
茶畑がみごとですよね\(^o^)/奥にみえるのは元気通信号!
山口さんとともに林の中へ入って行ったところに墓石がありました。
この辺りは昔、弾圧を受けていたキリシタンが隠れて生活していたとも言われています。
こちらの墓石はその方々のお墓ということです。嬉野の不動山地区にもキリシタンにまつわる史跡がたくさんあります。
お墓はいくつかあったそうですが今日見つけられたのは2つでした。このお墓は畑とは区別してちょっと高いところに建ててあります。
車で進んでいくと稲刈り後の風景が見られました\(^o^)
ここはキリシタン史跡「野添史跡」です。
「切支丹(キリシタン)が盛んであったのは1600年前後からイタリアの宣教師カミロ・コスタンゾが不動山に潜行し(1621年)ひそかに布教をしていた1630年頃までである。当時はすでに迫害がひどくなっていた時であるが不動山に伝道所(1614年破壊)には、一時バテレン(神父)2人とイルマン(教師)2人が居て多数の人々に洗礼を施したといわれている。」 (案内板より)
「迫害を逃れるため、信者達は幸助谷(子捨谷)で足手まといの子供を捨てたという。しかし、逃げながらも気になるのが親心で、捨てた子供たちはどうしているのだろうと立ち止まって、ここからのぞいて見たという。その『のぞく』が転じて『のぞえ』になったといわれている。切支丹衰史からでた地名の一つである。」 (案内版より)
少し下ってきて「千室神社」がありました\(^o^)/
千室神社には樹齢800年以上の立派なクスノキがありました!!
根も幹もとにかく立派で、生えている場所自体もすごかったです!!パワースポット・・・・・・だと思います(*^^)v
最後は九州のマッターホルン「虚空蔵山」です! 写真奥に見える左側に角が生えている山。
この日は天気も良くて大冒険ができました! 案内してくれた山口さんに感謝です(^^)
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