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2012/09/10
井手酒造「虎之児のひ・み・つ」
第4弾~種田山頭火~
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間が空きすぎました・・<m(__)m>
井手酒造シリーズ!復活!(・▽・)b
温泉を愛した放浪の俳人
種田山頭火(1882~1940)も嬉野を訪れ、「虎之児」を味わいました。
山頭火は嬉野の湯・茶・地酒・宿のことを「行乞記(ぎょうこつき)」に記しています。
この「行乞記」は
晩年の1930年(昭和5年)9月9日から1932年(昭和7年)9月20日の九州から中国地方での行乞(托鉢の旅行)の日記です。
行乞記より・・・
一月卅一日(昭和7年1月31日)
曇、歩行四里、嬉野温泉、朝日屋(三〇・中)
一気にこゝまで来た、行乞三時間。
宿は新湯の傍、なか/\よい、よいだけ客が多いのでうるさい。
飲んだ、たらふく飲んだ、造酒屋が二軒ある、どちらの酒もよろしい、酒銘「一人娘」「虎の児」。
武雄温泉にはあまり好意が持てなかつた、それだけこの温泉には好意が持てる。
湧出量が豊富だ(武雄には自宅温泉はないのにこゝには方々にある)温度も高い、安くて明るい、普通湯は二銭だが、宿から湯札を貰へば一銭だ。
茶の生産地だけあつて、茶畑が多い、茶の花のさみしいこと。
嬉野はうれしいの(神功皇后のお言葉)。
休みすぎた、だらけた、一句も生れない。
ぐつすり寝た、アルコールと入浴とのおかげで、しかし、もつと、もつと、しつかりしなければなマヽい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上の日記から山頭火は「虎の子」を飲んだことがわかりますね!(^^)!
「一人娘」というお酒を造られていた造り酒屋さんは今はもうないそうです。
「朝日屋」という宿も今はありません。
それにしても自由な感情がもりだくさんの日記です!嬉野がお気に入りだったことがよぉ~く分かります(^〇^*)
また、山頭火の実家は山口県防府市の造り酒屋さんで本人もお酒好きだったとか・・
ほかにも日記に、こんなことを綴っています。
「嬉野はうれしいところです、湯どころ茶どころ、孤独な旅人が草鞋をぬぐによいところです。
私も出来ることなら、こんなところに落ちつきたいと思います、云々。」
井手酒造さんの前にある山頭火の句碑に刻されています。(写真クリックで大きく表示)
山頭火も呑んだ「虎之児」のお話でした(*^_^*)
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井手酒造「虎之児のひ・み・つ」第2弾~探査機「はやぶさ」虎のごとく~
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